そのロゴ、やっぱりイヤですか
- 2017/01/14
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ロゴに反発する消費者が増えている
昨年末からPCモニターを物色していたら、あるメーカーのモニターレビューに「機能はいいけどとにかくロゴがダサい。後悔」「あれさえなければ。取ってしまいたい」といった意見があるのに気がついた。
オジサンなんか、機能がよければいくら形が野暮ったくても使ってみたいと思ってしまうのだが。
ロゴが許せないというのは、その人の並々ならぬ嫌いっぷりを感じてしまうな。
そうですか、ロゴがイヤで後悔ですか……。
ロゴは広告塔でもある
製品に付いているロゴというのは、確かに製造元の企業を表す以上の意味が含まれていると言えるだろう。
いまなら動画サイト、SNS等で背景にチョコッとロゴが露出すれば、「あの人が○○を持っているゾ!」「いいものかもしれない!」と拡散がはじまり、あっという間にネットショッピングで売り切れたとか、その手の話には事欠かない。
しかも、企業にすれば製品代金は払ってもらっているし、その他一切の広告費がかからない。
昔も今も、ロゴは偉大なる広告塔なのである。
ところがいまや「私は商品は買うけど、この会社を広く世に知らせようという気はない」「むしろ不愉快だ」と思う人が声を発するようになってきた。
買うことと認めることは別の話
実際海の向こうアメリカでは、誰でも知っているブランドのシャツに付いた大きなロゴを「こうやって外せばうまくとれるよ」と教えているサイトがたくさんあるようだ。
企業側としても「簡単に外されちゃかなわん」とばかり、特殊な細工をしてあるロゴもあるそうで、それをなんとか外そうとする人たちとのイタチごっこが行われているらしい。
一瞬そこまでするかという境地にも見えるが、ここで間違えてはいけない。
彼らは「シャツそのものはむしろ好き」なのだ。
ただ、いっしょにロゴを背負っていく気は毛頭ない、といっているだけなのだ。
どうすればクールなのか
前述のロゴを取った人たちがその後どうするかというと、なんと「ロゴを取った跡にアップリケを貼る」ことがあるという。
「私は企業の広告塔ではない」という主張はわかるのだが、その跡にアップリケとなると……。
うーん、それはクールですか?
そう、むしろオジサンなんか、そのロゴを外したあとの行動に注目したくなるね。
ロゴなしの無地シャツを「少しの穴あき有り」でも堂々と着る。
これなんか、一番主義主張がハッキリしていて清々しい。
いかにも「むしりとってやったぜ」みたいなワイルド感がいいね。
ロゴを嫌う心理はまあわかる。
だが本当はその外したあとの行動にこそ、ひとりの人間としての生き様が現れる気がするのだが。