自動運転が望まれる世の中だが、オヤジは自動運転車に乗るのか?
- 2019/02/25
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地場の運輸業者ですら意識する自動運転
グーグルやアマゾンといった世界的IT企業だけでなく、日本中で実験がおこなわれたり、トヨタが「クルマをつくる会社から、モビリティ・カンパニーへ」とぶち上げたり。
自動運転実用化への機運は高まりを見せるばかり。私、アントニオ犬助はピンと来ていないのですが、多くの人が待ち望んでいるようですね。
中でも、ひとしおなのが運輸業界の人たち。
先日、久しぶりに会った友人が、本社移転の準備で忙しいとこぼしていました。どこへ移転するのだ?と聞くと、高速道路のインターチェンジの近くだとか。来るべき自動運転の時代をにらんでのことだといいます。彼が勤めるのはごくローカルな運輸会社、そんな会社ですら(失礼)自動運転の時代を見据えているのです。自動運転にほとんどリアリティを持っていなかった、犬助は大いに驚いたものでした。
既存の技術だけでも可能な自動運転とは
そんな彼らが近い将来に実用化されると想定している姿とは、自動運転のトラックが高速道路上を走ること。インターチェンジ間のみで自動運転がおこなわれるならば、本社を側に移したほうがよいと判断したのですね。
考えてみれば、ブレーキアシストやクルーズコントロールという技術は、すでに実用化されているのですから、待たれるのは専用レーンか法整備か。急に自動運転のリアリティが増してきます。
彼の予想では、自動運転が実用化されたとしても、当分は自動運転の補助的な役割を担う人の乗車は義務付けられるだろうとのこと。現在、運輸業界が直面している、ドライバーさん不足という問題はすぐに解決しないとしても、大型免許や運転技能は必要ないという時代は来るんじゃないかな?と述べていました。
街中での自動運転の実現は、まだ先のこと
とはいえ、まだまだ実用化に程遠いのでは?と彼がいうのは、市街地での自動運転。交差点という要素が加わるだけでも、自動運転がクリアすべき課題や難易度はぐっと上昇、そのことは右折一つを想像するだけで理解できます。
「自動運転でドアtoドアの配送が実現したり、各人が自動運転の自動車を所有して、通勤時間を睡眠に当てる時代は当分先になると思うよ」とのことでした。
「そんな自動運転の車が発売されたら購入するのか?」と、犬助は彼にたずねてみました。すると返ってきたのは「そんなもの買うわけないじゃん」という答え。「出発地から目的地へ届けられるだけでは荷物と同じ、自分が商売のタネと同じになってどうするよ?」と、いささかご立腹気味でした。
車は目的地へ到達するため「だけ」のものではない
彼がいいたかったのは「目的を達成するためならば、手段は何でもいいのか?」ということでしょう。
自らの意思で職場へ向かうということが通勤ということで、その表れが自ら車を運転するという行為だということ。もちろん自動運転の車に身を任せることでも、通勤するという目的は達成されますが意思の介在が薄い、そこに不快さを感じるという。これでは無理やり運ばれて、無理やり働かされているみたいじゃないですか。
加えて車は目的地へ向かうためだけという、単なる移動手段ではありません。道のりを楽しんでみたり、気まぐれで目的地が大きく変わったりするのも車の魅力。これは街中での自動運転が実用化されたとしても、決して現実化できないものだと思うのです。
走るのが楽しいという感覚とか、ドライバーの気まぐれとか、この辺をAIが理解・再現できるようになれば、自動運転も多少は魅力的になるのかもしれませんが、そこまで進化するのはいつのことやらと犬助は思うのです。まあ自身が事故を起こす確率が下がるというのは、魅力的ではありますがね。